TOMYZの神秘大全

私の感じてきて思うところの神秘について、書いていくところ。。。

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「豚に真珠」の真実

「豚に真珠。猫に小判。」なんて言葉がありますが。。。

「豚に真珠」に関しては、新約聖書:マタイの福音書 第7章 第6節に起源があるとされます。

新共同訳聖書の記述を見てみましょう。
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聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、
向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
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まあ、「価値のあるものを分からない者に与えるな」の意味にとりやすいですが。。。

第7章全体を見て、その起源も含めて考えてみたいと思います。。。
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第7章

人をさばくな。自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、
あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、
あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、
向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、
自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天にいますあなたがたの父はなおさら、
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり預言者である。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、
ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
その日には、多くの者が、わたしにむかって
『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』
と言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。
岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。
そしてその倒れ方はひどいのである」。
イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
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有名な「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」の最後を飾る部分である。

「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」の定義はこうだ。。。
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山上の垂訓(さんじょうのすいくん)とは、
新約聖書内マタイによる福音書第五章から七章にある、
イエス・キリストが山上で弟子たちと群集に語った教えのこと。山上の説教とも。
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内容をまとめると以下のようになる。
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* マタイ 5:1-2 - イエスが悪魔払いにより病人を治したため群集が集まってくる。
そこでイエスは山に登り、彼らに教えて言う。
* マタイ 5:3-12 - 幸福の説教(「真福九端」もしくは「真福八端」とも)。
* マタイ 5:13-16 - 信者を「地の塩」と「世の光」になぞらえる。
* マタイ 5:17-48 - 律法、モーゼの十戒への論評。
* マタイ 6 - 善行を見せびらかすな。
施し、祈り(主への祈り)、断食は隠れてせよ。物のことで悩むな。
* マタイ 6:25-33 - 野の花を見よ。何を食べようか、何を飲もうか思いわずらうな。
* マタイ 6:34 - 明日のことを思いわずらうな。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
* マタイ 7:1-5 - 自らを裁かずに人を裁くな。
* マタイ 7:6-29 - 聖なるものについて。偽預言者に気を付けなさい。
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まあ、普通に生活すると言うことだけど。。。
過激な言い回しがいくつかある。。。

過激な言い回しが強くなった理由は、読者層の問題なのかもしれない。。。
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『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、
イスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。
このようなイエス理解や文体表現から、パレスチナにすむユダヤ人キリスト教徒を
対象に書かれたと考えられる。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、
特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。
イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判
となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることに
なったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは
急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったと
みなすほうが的確である。
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読者層が「ユダヤ人キリスト教徒」であり、
「穏健派というよりは急進派・過激派」に向けてのメッセージならば、
納得がいく。。。

しかし。。。
「パレスチナに住む」だとアラム語での人たち向けになるので、
アラム語の聖書があったはずにもかかわらず、見つかっていない。。。

同じ「ユダヤ人キリスト教徒」でもアレクサンドリアにいた
ギリシャ語圏の人々向けならば、半分納得がいく。。。

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本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については
聖書学者の間でも意見が分かれており、
エルサレム陥落前(紀元60年 - 65年)に書かれたとする説と、
陥落後(70年代)に書かれたとする説に分かれる。
いずれにせよ、遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。
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本書の成立年度のあたりだと、ローマ帝国。。。
いわいる暴君ネロの時代。。。

このときは、まだ迫害まで及んでいないと思うが、
なんとか迫害の風向きを起こさせず、
平穏に宣教しようと言う意図が感じ取れる部分が多分にあるのかもしれない。。。




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